都電荒川線・花電車「花100形」
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故郷を懐かしむことのできる都営バスがある。ただしそのバスの運行は年に数日のみ。
国展08系統。東京駅と東京ビッグサイトを結ぶ臨時系統である。始終点が同じ都営バス(別経路で各駅停車)は他にもあるが、国展08系統は運行日が限定されるという点、また、始発停留所を出ると終点まで停車しない直行バスであるという点で、特殊である。
どのような時にこのバスを見ることができるのか。答えは、東京ビッグサイトで大規模なイベントが開催される日である。
その中でも最も有名なのは、8月のお盆の時期と12月末に開催される世界最大級の同人誌即売会。最近では季節の話題として、ニュース番組などで取り上げられるので、ご存知の方も多いのではないだろうか。
実はこのイベントの日以外にも国展08系統が運転されることはあるのだが、知名度や規模の大きさから「盆暮れといえば国展08系統」という印象が定着している。同人誌即売会と聞くと、アニメの登場人物の衣装に扮した若者を連想する。しかし所定の場所以外での扮装は禁止となっているため、バスの車内で彼らを見ることはない。個人的には残念である。
国展08系統の朝は早い。たいていの場合、6時台から東京駅には多くの都営バスが待機している。早朝にもかかわらず、乗り場には長蛇の列ができ、次々とバスが発車していく光景は壮観である。
イベントの開始は10時過ぎであるのに、早朝から会場を目指すのは、在庫限りの限定品を買うために並ぶ必要があるからだとか。都営バス以外にも近隣駅から会場へ向かう方法は用意されているのだが、多客期に複数の交通機関が存在することで需要の分散化が図られ、結果的に輸送の安全が保たれる。自分が言うのも変だが、国展08系統はその役割をしっかりと担っている頼もしいバスなのだ。
さて、「故郷を懐かしむ」という主題に話を戻そう。なぜ、国展08系統に乗ると故郷を懐かしむことができるのか。これは、実際に乗車すればすぐに分かる。東京駅を出発したバスは、ビルに囲まれた鍛冶橋通りをさっそうと走る。
運転席横まで人、人、人……そんな満員の車内で繰り広げられるお客様の会話に耳を傾けると、通常の都営バスとは様子が異なることに気づく。
「……やね」「……ちゃ」「……じゃけ」。そう、東京のバスにして、日本全国津々浦々のお国言葉が飛び交っているのである。大規模なイベントならではの現象だが、初めてこのバスを運転した時、私は本当に驚いてしまった。
バスは新大橋通りに出て入船橋交差点を左折、佃大橋と朝潮大橋を渡り、晴海方向へ進む。
「あ、トリトン。なぁづかしいねえ」。運転席の真後ろから、普段耳慣れない発音が聞こえる。トリトンとは晴海にある商業施設の略称。“なっづかしい”もとい“懐かしい”という言葉は、東京に長く住む人間が帰省した時などに発するだけではない……理論的には当然のことなのだが、何か磁場が狂った空間を歩くような不思議な感覚を覚えてしまう。
バスは様々な地方の言葉を運びながら晴海大橋・有明中央橋を渡り、終点へ(そういえば鍛冶橋から始まり、「橋」のつく地名だらけだ。スーツ姿の人々が行き交うオフィス街から、未来都市のような東京ビッグサイトまでの変化に富んだ道のりに、多くの橋が待ち構えている。橋を、節目節目に訪れる喜びや乗り越えるべき課題と読み替えれば、まるで我々の人生のようである)。
故郷以外の場所にわざわざ故郷の言葉を聞きに行くという行為について、かつて石川啄木はこのように詠んだ。
「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
日々の生活に追われ、なかなか帰省ができない方々へ……懐かしい言葉を聞くために国展08系統に乗車してみてはいかがだろう。ただし冒頭にも書いたように、運転日が限定されている上、必ずしも自分の故郷の言葉が聞けるわけではないので、留意されたし。(イラストも筆者)
※都政新報(2012年1月13日号) 都政新報社の許可を得て転載
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都政新報(2012年1月13日号)に、エッセイとともに掲載。D代車(旧デザイン)とT代車(現デザイン)が並ぶ。
エッセイは、都営バス国展08系統とコミックマーケットと石川啄木について書いた。
※掲載記事は こちら
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都政新報(1月13日付)に、イラストと文章が掲載されました。イラストは「東京ビッグサイトと都営バス」。文章は、都営バス国展08系統とコミックマーケットと石川啄木について書きました。都政新報のホームページのトップにも、数日間ですがイラストが掲載されました。
なお、都政新報は店頭売りしていませんので、掲載号の入手方法につきましては都政新報社までメールでお問い合わせください。
都政新報社ホームページ
※画像は1月13日現在のトップページであり、現在は変わっています。
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都職員なら誰もが知っている、港区海岸の健康診断施設。待合室の眼下には海が広がり、東京諸島へ向かう客船の姿を見ることもある。人間ドックのために検査着を羽織り、絶食し、今まさに胃カメラを飲もうとする人間にとってこの光景は自由の象徴であり、海面が輝きを増すほどに、島への憧れは強くなる。
「東京の島へ行こう!職業柄、島のバスに乗るという名目で」
公休日前、9月某日の終業後、私の足は竹芝へと向かっていた。23時発の夜行船に乗るためである。大島・利島・新島・式根島を経由して神津島へ行く便だが、離島初心者として今回は大島までの券を購入した。
翌朝5時には無事、夜行船は大島の岡田港に到着(季節により時刻の変更あり)。
ところで、大島は案外広い。島内一周道路が山手線の一周と匹敵するそうで、同じく山手線の内側を網の目のように走る都営バスの路線とは利便性などの面では比較にならないけれども、それでも大島の路線バスは、一周道路を柱として「大島公園ライン」「レインボーライン」といった、見ただけで旅をした気分になれるような様々な路線が設定されており、良い意味で旅行者を迷わせる。
大島の路線バスの時刻表には、入港地・出港地の文字が入っている。夜行船が着岸した港を入港地、日中に高速船が発着する港を出港地と呼び、島の西側の元町港、北側の岡田港のいずれかとなる。海況により入出港地が定まり、路線バスの運行や土産物店の営業体制が決まってしまうという日常が、この島では淡々と展開されている。
さて、今回乗車するのは「波浮港ライン」。始発は元町港と固定されているため、まずは入港地の岡田港から元町港行きのバスに乗車。集落を抜け、「地層断面前」で途中下車する。売店などはないので、飲み物持参が望ましい。停留所前に広がる間伏地層切断面は道路建設の際に現出した地層で、火山灰や火山れきの堆積による巨大な「バームクーヘン」は圧巻である。
地層切断面の終端まで700歩ほど歩き、スケールの大きさを体感。さらに1200歩歩き、次の停留所、「砂の浜入り口」に到着。
次のバスを待つまでの間、海岸まで降りてみた。砂の浜は大島唯一の天然の砂浜で、三原山の溶岩から生成された黒い砂が特徴である。9月とはいえ残暑厳しい日ではあったが、サーフィンをする若者が数人いただけで、静寂を楽しむには十分であった。
再びバスに乗車し、今度は波浮港を目指す。野口雨情作詞『波浮の港』や、映画『伊豆の踊り子』で有名な港。『伊豆の踊り子』のモデルとなった旅芸人一座が実際に芸を披露した旧港屋旅館は、人形の配置された資料館となっている。余談だが、バスが波浮港停留所を折り返す場面は、迫力満点である。波浮港を散策した後は、終点のセミナー入口まで。
終点から一周道路をさらに進むと「文学の散歩道」と書かれた小道があり、大島を訪れた文人たちの作品の記念碑が点在している。碑を眺め歩くうち、白い十字架と、筆の形の無人島、筆島が見えてくる。
十字架のふもとには、家康時代、キリシタン禁止令のもとで悲劇の人生を歩んだオタア・ジュリアの足跡を刻んだオタイネの碑がある。迫害に耐え、信仰を守り通したジュリアの心根は、凛とそびえ立つ筆島の姿とも重なる。太古の地層、黒い砂浜、白い十字架、そして青く力強い空……。再び車中の人となり、この0泊2日の島旅に思いをはせていた私は、気づけば幸せな眠りに就いていた。(イラストも筆者)
※都政新報(2011年10月28日号) 都政新報社の許可を得て転載
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始発停留所にバスを着けると、車椅子のお客様と介助者が待っていた。車椅子には還暦を過ぎたぐらいの女性、介助者は30歳前後の、やはり女性である。実の親子か嫁姑か、実際のところは分からないけれど、母娘ということにしておこう。それだけなら何の変哲もない光景であるのだが、2人とも満面の笑みを浮かべているものだから、私までつられて笑顔になる。
座席を二つに畳んで車椅子スペースを作り、バスと地面との間にスロープを渡して車内の所定の位置までお客様を慎重にご案内し、行き先を聞く。すると、2人そろって爽やかな声で「浅草雷門までお願いします」。寒い冬が終わり、桜の春、そして新緑の季節になると、観光目的での車椅子のお客様のご乗車が増える……そう、2人の笑顔は、これから始まる「バス旅行」への期待感に由来していたのである。
* * *
都営バス「草64系統」は、池袋駅東口から王子駅、尾久駅を経由して浅草雷門に至る片道1時間弱の路線である。バスは池袋駅を発車後、明治通りをなぞっていく。
「お母さん、すごい下り坂。ほら都電が前を走っているよ」
飛鳥山から王子駅前までの都電との併走区間。
「この坂道、実はあの碓氷峠と同じ勾配なんですよ」などと私も会話に加わりたい気分だが、乗務中なので我慢。その後も、車窓の風景が流れるたびに、娘が母に話し掛けている。
「見て、ツツジがきれい」。王子駅の先、溝田橋交差点を右折し、明治通りの歩道のツツジ。娘が言葉を発する度に、母は「まあ」「素敵」などと相づちを打っている。言葉は少ないが、和やかな語り口調が、穏やかな時間の流れを物語る。
「あっ。スカイツリーが見えてきたよ」。興奮を隠さず、まるで子供のような無邪気さで、娘はそれを母に伝える。
明治通りから土手通りに入る三ノ輪二丁目あたりから東京スカイツリーが姿を表し、東浅草一丁目の辺り、紙洗橋交差点の先で最接近の時を迎えるのだ。母親も目で追う。そのままふもとまで到達すれば、めでたしめでたしとなるのだが、バスは無情にも右斜めに向きを変え、次の瞬間その塔は視界から消えてしまう。
* * *
ここからは私の妄想。「切ないですよねえ。『●東綺譚』の中で、小説家大江と玉ノ井の娼婦お雪とは、スカイツリーとこのバスの関係みたいに一度は近づき、やがて遠ざかるんですが、結ばれない恋だからこそ美しいのかもしれませんねえ」
安全運転を保ちつつも、いつの間にか2人の会話に入っている。もちろん、実際に話し掛けるわけではなく、あくまでも想像の世界である。
「紙洗橋は『●東綺譚』の中にも『髪洗橋』として登場するので、ここをバスで通ると、ついついスカイツリーと結び付けたくなるんですよ」。私の心の叫びは続く。
「今度時間がありましたら、東浅草一丁目で降りて一本向こうの細道に入り、スカイツリーを見ながら紙洗橋、山谷堀橋、正法寺橋……今戸橋まで散歩してみてください。橋の架かっていた山谷堀は埋め立てられて公園になっていますけど、今はなき(正確には地下に潜った)せせらぎの音に思いをはせながらのんびりと旅をするのも乙なものですよ。スカイツリーの姿もバス通りから一本入るとまた違って見えますし、バリアフリーにもなっているので、車椅子でも通行できます。ちなみに江戸時代、この辺りは浅草紙という今でいう再生トイレットペーパーの生産が盛んでして、紙洗橋の『紙を洗う』とは、浅草紙の製造過程のことだったそうですよ。トイレットペーパーだけにウンチク話。これはお粗末さまでした」
私の心の中の妄想観光案内(?)などもちろん2人に聞こえるはずもなく、バスは馬道通りから雷門通りへと右折し、終点浅草雷門に到着。降車ドアを開け、車体から歩道へスロープを渡して降車のお手伝いをし、私の任務はここで終了となるのだが、別れ際、お2人からご乗車の時と同じ笑顔で、「ありがとうございました」のお言葉をいただく。
この瞬間の喜びと言ったら、たとえようがない。一気に疲れが吹き飛んでしまう。「こちらこそ、ありがとうございました。どうぞお気をつけて」と私も答える。そして爽やかな余韻を胸に秘めつつ、私は再び池袋駅東口を目指し、バスを走らせるのだ。
* * *
車椅子であるか否か、または観光であるか否かにかかわらず、全てのお客様に対しては平等に接しなければならないのは、職務上当然のことである。
季節や天候とは関係なく、心身にハンディを持ったお客様も、通院や買い物などの必要に迫られてバスを利用することもあるだろう。むしろ、それが公共交通機関としての本来の姿である。
とはいえ、誤解を恐れずに書くならば、暖かい時期になり、車椅子利用者をはじめ、そのような方々が「自らの楽しみのために」バスを利用してくださる場面に接する機会が増えると、運転する側としても張り合いがあるし、気持ちも明るくなる。
日々の生活のための「義務的な移動」とはまた違った「非日常的な移動」に、都営バスというツールを通して関与することができた時、私は何だかものすごく得をしたような心境になるのだ。(イラストも筆者)
【注】●東綺譚 ●はサンズイに墨
※都政新報(2011年6月24日号) 都政新報社の許可を得て転載
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縁あって交通局に入局したのが2007年。気がつけばまもなく満4年。その間、数多くの失敗を経験したが、先輩方に支えられ、少しずつ仕事のやり方を覚えてきた。
「成長した」という表現はおこがましいかもしれないが、バス運転手としての技術はこの4年で格段に高まったと自負している。
「いつ誰に自分の仕事を見られても恥ずかしくない」そんな働きぶりを理想とし、少しでも理想の姿に近づけるよう、日々奮闘中である。
さて、その奮闘の中身であるが、職務が職務なだけに、ひたすら走る、走る、の繰り返しである。もちろん、ただ走るだけではいけない。車やバイク、軽車両、そして歩行者が交錯する東京の道路を、大勢のお客様を乗せながら安全に走らなければならない。しかも、常にバス停の通過時刻を気にしながら走るのだから、気が抜けない。
さらに、お客様からは、鉄道の乗り換え方法、沿道の病院・大学・飲食店の最寄り停留所についてなど、さまざまな質問を受ける。ただ黙って運転しているだけでは済まないのだ。
道路混雑のため運行が遅れ、罵声を浴びせられることも時にはあるが、その一方で、温かいねぎらいの言葉をかけてくださるお客様もいて、世の中捨てたものではないと感じている。
バスは、春夏秋冬年中無休で、人々の喜びや悲しみや偶然の出会いを運ぶ。子供たちの思い出に残ることもあるだろう。そんな乗り物を運転している私は、お客様にとってはおそらく記憶に残らない人物であるが、それでも、自分の仕事が確実に人の役に立っているという事実がうれしい。
「発車します。おつかまりください」……今日も東京のどこかで、私は黄緑色の都営バスを走らせている。
都政新報(2011年2月22日号)投稿欄「よりみちサロン」に掲載
※都政新報社の許可を得て転載
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現在は橋柱だけが残る紙洗橋より、建設中の東京スカイツリーを望む。(2011年)
都政新報(2011年6月24日号)に、エッセイとともに掲載。
エッセイは、都営バス「草64系統」をめぐる話。車椅子の親子とスカイツリーと永井荷風について書いた。
掲載記事は こちら
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東京都交通局 P-D248 (元)蓄圧式低公害車 CHASSE
2010年廃車(2010年)
都政新報(2011年2月22日号)投稿欄に、文章とともに掲載。
文章は、路線バス運転手の仕事について書いた。
掲載記事は こちら
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ノエル(仮名)はのどが渇いていた。容器の水はぜんぶ飲んでしまったが、まだとても飲み足りない。しばらく、水を探してさまよい歩いた。そして視線を上げると、何か光るものが見えた。
これはなんなのだ。とりあえず、上のほうへ登ってみた。そこには、求めているものが、静かに上品に存在していた。思わず口をつけてみた。
「×××××!!」
突然、横から大きな音がした。いつも自分が面倒を見てやっている動物の声だが、何を伝えようとしているのか分からない。
ノエル(仮名)はのどが渇いていたが、今はその欲望を満たし、少しだけ満足している。(1996年)
※本作品の背景における商標「MAMA POCKETY」の使用につきましては、ライオン株式会社ベターリビング事業推進部の承諾を得ております。(制作年当時)
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いつかタイムマシーンが発明されたなら、タイムマシーン業界の間でも、熾烈(しれつ)な開発競争が起こるのではないだろうか。メーカー同士の微妙な駈け引きの狭間(はざま)で、ベータ方式のビデオデッキのごとく規格の孤立してしまったタイムマシーンは、一部のマニアによる絶大な支持を受けながらも、世間から淘汰(とうた)されるという運命を背負うはず。「旧型」の烙印(らくいん)を押されたタイムマシーンは心ない人々によって野山に投棄され、社会問題化するが、その一部は長い時間をへて風化し、やがて自然の風景に溶け込んでいくだろう。
時間を行き来できるはずの機械がその能力を喪失し、今はただ、時間の変化を受け止めている。穏やかな陽光の下、物ひとつ言わぬ「彼ら」には、投棄された当時の悲壮感はすでにない。それどころか、安住の地を得たかのごとく、堂々と落ち着いた輝きを見せている。
ああ、時の流れの偉大さよ!(1995年)
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チョコレート色の一両編成。車内を照らすのは薄暗い白熱灯。板張りの床面。停車を予告する「キンコンキンコン」の音。クーラーはなく、夏には蚊遣り線香の煙がくゆる。・・・・・・神奈川県は横浜市の鶴見線大川支線には、JRで最古参のクモハ12型電車が走っていた。工場街への通勤線として昭和4年から動き続けている「彼」は、世が平成に移ってからも、武蔵白石ー大川間のわずか0.8キロメートルを、年中無休でただ淡々と誠実に実直に往復してきた。
多くの人々に「チョコレート電車」と呼ばれて可愛がられた「彼」だが、平成8(1996)年3月15日の運行を最後に、ついに現役を退いた。鉄道車輛としては異例の「勤続年数67年」の理由は、武蔵白石駅のホームが極端にカーブしており、全長20メートルの普通の車輛が導入できなかったため。(「彼」の全長は17メートルと短いのだ。)つまり、プラットホームの形状の特殊性が、「彼」の電車生命を延ばした。いや、もしかするとその逆で、「チョコレート電車」を現役のままいつまでも残しておきたい、という人々の気持ちの結集が、特殊な形状のプラットホームを残したのかもしれない。
武蔵白石の駅は、終着駅であると同時に、そんな気持ちの、終着駅。・・・・・・であればいいなと考えながら、「おつかれさま」の気持ちも籠(こ)めて、昭和の電車・クモハ12型の雄姿を、孔版で描いてみた。(1996年)
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岩に巖(いわお)を重ねて山とし……かつて松尾芭蕉が訪れ、このように書き記した山形県の立石寺(りゅうしゃくじ)、通称山寺。山頂で人々を待ち受けるその寺の玄関口である山寺駅の造りも、また風流なり。藤子不二雄の『山寺グラフィティ』に触発されて制作した作品。(1991年)
第15回手作りの絵はがきコンクール(理想教育財団主催)郵政大臣賞受賞作。
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「葉書1枚のスペースに織り込んだ思い」
祖父の7回忌の法事のために秋田へ行った帰り、ふと立ち寄った仙山線・山寺駅。生まれて初めて訪れたはずなのに、何故か懐かしい。そんな気持ちを、心の中のスクリーンだけでなく、形あるものとして残そうと思い、カメラのシャッターを切りました。写真はよく写ってはいたけれど、自分の抱いた懐かしさへの憧憬を語るには余りにも弱すぎて、物足りなくて・・・。それで、写真では判らない大切な感情を紙に託して線を引き、版を重ね、この様な形にたどり着きました。
大人にはなりたいけれど、嫌な大人、汚い大人にはなりたくない。心のどこかに“忘れていた何か”を残していたい。いつまでも子供の頃の心を持ち続けていたい。そういった小さな願いも、葉書1枚のスペースに織り込んだつもりです。「なるほどそうだったのか」こんな風に納得をしながらこの作品を見て頂ければ幸いです。
<郵政大臣賞「受賞の言葉」より 1991年3月8日※原文のまま>
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