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鉄橋と花電車と未来遺産

 都電荒川線で花電車(乗車はできない)が運行されたのは2011年のこと。33年ぶりの花電車をイラスト作品としてぜひ残しておきたい……私は花電車の映える構図を探すため、都電に乗り込み、早稲田と三ノ輪橋間を何度も往復した。
 そしてたどり着いたのが、都電雑司ヶ谷と鬼子母神前の間にある、目白架道橋。車道をまたぐ鉄橋としては都電荒川線唯一であり、都電ファンには人気のスポットだということは、イラストを描くと決めてから知った。バースデイケーキのような装飾が施され、まばゆい光の演出を受けた花電車「花100形」が夜の鉄橋を駆け抜ける、いや「駆け上がる」光景は幻想的であるだけでなく、大変頼もしいものだった。勾配の急なこの区間を都電が走るさまには一途さを感じ、小さな車体に私は大きな希望を抱いたのだ。
 なぜ古い話を今ごろ持ち出したのかというと、この鉄橋が花電車の運行後間もなく閉鎖されたという事実を、恥ずかしながらつい最近になって知ったからである。
 花電車が運行されたのが11年の10月で、鉄橋はこの年の12月11日を最後に閉鎖された。都電自体の運行に変わりはないが、直下から見上げることができなくなったというわけである。
 土日を中心として5日間限りの運行だった都営交通100周年記念の花電車。1枚とは言え、今はなき鉄橋との組み合わせを作品として残せたことは、今にして思えば幸運であった。
 イラストの構図となった現場まで、久々に足を運んでみることにした。この付近では都市計画道路環状5の1号線の整備が本格的に始まっており、都電の線路の両側には建設機械や資材が所狭しと置かれていた。この工事が進むと、都電の両側に1車線ずつ、地下に2車線、合計4車線の道路が出来上がるという。
 鉄橋は当然ながら完全に閉鎖され、歩行者さえも通ることが出来なくなっていた。大きなプロジェクトの流れとは言え、やはり寂しいものがある。
 しかし、現時点では鉄橋の構造物自体は完全に撤去されていないと見え、「そこに鉄橋があった」という名残りはかろうじて認められた。いずれ、その名残りすらも完全に消えてしまうのだろうが、素朴な光景は私の記憶の中には残ることだろう。
 一方で、長い歴史の中で育まれてきた景観や風習、例えば安産祈願で有名な鬼子母神堂などの建築物、雑司ヶ谷霊園の森、「すすきみみずく」(郷土玩具)や雑司ヶ谷七福神巡りなどの文化資源を尊重し、残していく動きもある。そして、それらを未来に伝えるための熱心な市民活動が、厳正な審査を経て昨年12月、(公社)日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産」に選定された。
 鬼子母神の境内には、江戸時代から続く駄菓子屋が店を構え、飴や煎餅をばら売りしている。未来遺産の名の下に、このような素朴な存在にも光が当たり、保護されるような未来が訪れるなら、すてきなことだ。
 都電に唯一現存した鉄橋は撤去され、大規模な都市計画の真っただ中にある雑司ヶ谷地区。様々な考え方があるのだろうが、その景観の中に都電が含まれていることについては安堵(あんど)している。そして、新しい街づくりが進む一方、伝統的な文化を守る運動も活発化しているこの地域が今後どのように発展していくのか……。大変興味深いところである。
 都電の鉄橋跡と鬼子母神参りの帰り道、線路沿いの道路から灰色の猫が私の目の前に飛び出し、一瞬目が合った後、急ぎ足で踏切を渡っていった。この猫も、かつてあの鉄橋をくぐったことがあるのだろうか。あるとしたら、今目の前に広がっている過渡期の風景をどのように受け止めているのだろう。もしも猫語が話せたとしても、未来遺産という概念を簡潔に説明することは難しい。けれども、「それほど不安になる必要はないよ」と一言伝えてあげたいと思う。

※鬼子母神の鬼の字は、正式にはツノがない。
※都政新報(2015年2月3日号) 都政新報社の許可を得て転載
新聞にはモノクロで掲載されましたが、原画はカラーです。原画はこちら

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