原画展にご来場ありがとうございました。

 10月3日から31日まで、東京・大泉学園のカフェモフリーにて、Tシャツ作家のHaniwaFactoryさんとの二人展、『猫ときどきバス』展を開催しました。お蔭様で大勢の方にご来場いただきました。誠にありがとうございました。
 簡単ではございますが、写真にて展覧会の様子を振り返ります。

 展覧会期間前、自宅の壁に原画を貼ってみました。いわゆるシミュレーションというやつです。
Photo
予算の関係上、額をほとんど使わないことに決めました。壁にパネルを貼るスタイルです。固定には「ひっつき虫」を使いました。ひっつき虫、便利ですよ。

Photo_2
 自宅の壁です。

Photo_3
 展示初日には間に合いませんでしたが、今回、名刺を作りました。一度、活版印刷で作ってみたかったのです。
 
 自宅でのシミュレーションの後、満を持して、会場にて搬入・展示をしました。
Photo_4
Photo_5
Photo_6
 画面に写っているのは、カフェモフリーの看板猫、ナツ先生です。

 ところで、会場であるカフェモフリーは、文字通りカフェです。食事もできます。
Photo_7
 カレーライスです。
Photo_8
 いぶりがっこ丼です。
Photo_9
 チーズケーキです。

 会期中、1000円以上ご飲食されたお客様の中で希望された方に、塗り絵ポストカードをプレゼントさせていただきました。私バージョンとHaniwaFactoryさんバージョンの2種類を用意し、セットで差し上げました。会場内で塗り絵を楽しまれた方もいらっしゃいました。
1000
 HaniwaFactoryさんバージョンの塗り絵に私も挑戦してみました。

 HaniwaFactoryさんは私の姿をペンギンとして描いて下さいました。こちらのイラストは、私のエッセイ集『あのバスの運転手のエッセイ 2』に収録されております。会期中、「ペンギンの運転手さん」公式グッズとしてポストカードを頒布しました。
Photo_10
 よく似ています。本人が言うのですから間違いありません。

 20年以上前、フロム・エーという週刊誌でコラムを連載しておりました。今回、当時の記事を一気に読めるようにしたものを展示しました。画像を編集して下さったHaniwaFactoryさんに感謝いたします。
Photo_11
 画面に写っております東京大学広報誌『淡青』は、私がフロム・エーにコラムを連載していた当時、フロム・エー編集部に在籍していた高井次郎さんの現在の職場での編集記事です。たまたま「猫と東大」特集でしたので、猫のいるカフェであるカフェモフリーの雰囲気に馴染むのではと思い、高井さんの許可を取り、店内で展示させていただきました。

 二人展の相手であるHaniwaFactoryさんは、ナツ先生のイラストや写真、自作アクセサリー、頭につける餃子?などを展示・頒布されていました。大変、遊び心のある方です。なお、二人展に合わせて製作されたフルカラーの小冊子『ハニワファクトリィの雑誌』は大人気で、会期中に用意した全冊が完売。その後追加印刷したものが、会期後もカフェモフリーにて頒布しております。カフェモフリーへ行く機会がありましたら、HaniwaFactoryさんの本も手に取ってみて下さい。
Photo_12
 私は髪の毛が短いので、頭に餃子がつけられませんでした。

 長いようで短かった1ヶ月。撤収日には、こみ上げるものがありました。
Photo_13
 私のプロフィールのパネル。HaniwaFactoryさんに作っていただいたものです。今回、展示作品のキャプションも、すべてお願いしました。私はパソコンが苦手なものですから、作業を代行していただき、本当に助かりました。
Photo_14
 展覧会撤収日のナツ先生です。展覧会が終了しても、カフェモフリーへ行けば、いつでもナツ先生に会うことができます。毎月次々と変わる展示を見ることもできます。もちろん、美味しい料理やスイーツを楽しむことも。

Photo_15
 原画展は終了しましたが、私のエッセイ集『あのバスの運転手のエッセイ(新装版)』『あのバスの運転手のエッセイ 2』は引き続き店内で頒布しています。過去に刊行した詩集『バーミキュライト』『クレヨン蒸着体』も引き続き、取り扱いがあります。原画展にいらした方も、来られなかった方も、ぜひ一度カフェモフリーにいらして下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「秩父 山小屋 珈琲店」

【アーカイブ】
※某団体向けに2015年に書いた文章です。

 子供の頃から埼玉の秩父へ行くのが好きだった。本格的に登山するわけでもなく、ただただ、秩父という地域の雰囲気が好きだった。西武線の終点、西武秩父駅で降り、秩父鉄道の御花畑駅に向かう途中の商店街を見て回る。昔はその一角に鉱石を扱う店があり、秩父を訪れるたびに店頭に置かれたアメジストドームに触れるのが習慣になっていた。商品の石に触ってニヤニヤする小学生。今から思うと、とても不気味である。
 社会人になり、秩父へ行く機会は減ったが、それでも年に数回は足を運んでいる。何か特別なつながりがあるわけではないのだが、私にとって秩父は心のふるさとなのかもしれない。そんな私が秩父へ行くと必ずといってよいほど立ち寄る珈琲店がある。
 その珈琲店は御花畑駅のすぐそばにあるのだが、まるで山小屋のような佇まいで、店の前に立つだけで、気持ちが癒される。店内に入ると、大きな木のテーブル、アンティークな時計、レコードや詩集などが視界に入る。「いかにも」な雰囲気である。この店は、食べ物の持込が自由である。なぜならば、メニューに珈琲しかないから。注文を受けてからゆっくりと時間をかけて淹れられる珈琲。普段、時間に追われる仕事をしているせいか、私にはこの時間がとてもいとおしく思える。薄暗い店内だが、本などを読もうとすると、店主はランプを用意してくれる。心遣いが温かい。しかも、二杯目以降は割引価格で飲めるので、ついつい長居してしまう。
 山の中にあるわけでもないのに、「秩父 山小屋 珈琲店」で検索すれば最初に出てくる珈琲店。この地で四十年以上も営業しているという。秩父方面に行くことがあれば、一度立ち寄ってみてはいかがだろう。あなたの心の記憶にも、きっとお気に入りの場所として登録されることだろう。ちなみに店名は「秩父山小屋珈琲店」ではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

塔のふもとの献血ルーム

 献血が趣味で、献血バスについてのエッセイ(※『都バス運転手、献血バスを取材する』)まで書いてしまった私ですが、普段は献血バスよりも、献血ルームに足を運ぶことの方が多いです。
 東京スカイツリーのふもと、ソラマチに、新しい献血ルームfeelがオープンしました。早速行ってきたので報告します。雰囲気だけでも感じていただければ幸いです。
※往復の交通機関につきましては、(私の好みと申しますか)あえて時間のかかる方法を選んでいますので、お時間のない方は電車(東武スカイツリーラインなど)をご利用ください。

新宿駅西口からバスに乗ります。なんと土気行きです。土気ってどこ?運転手に「スカイツリーまで」と言い、運賃を支払います。
Photo

バスは首都高を進み、あっという間にスカイツリーのふもとに到着します。ここでうかうかしていると、土気(千葉市緑区・JR外房線)まで連れていかれるので、要注意。スカイツリーで降りましょう。
Photo_5

地上から見た東京スカイツリー。登りません。そのふもとの、東京スカイツリータウン・ソラマチというビルのイーストヤード12番地のエレベータで8階を目指します。8階からは8-11階用のエレベータに乗り換えて、10階まで行きます。
Photo_6

待合室の眺め。東京スカイツリーが見えます。でかい。
Feel

待合室の眺め、その2。鉄道好きにはたまらない。出される飲み物やお菓子がしゃれているのが、ここの特長。
Machiai

【献血ルーム feelの限定品】無料ではありませんが、一定額以上の寄付をするともらえる記念品。ノートとかハンカチとか。地元の企業が協力しています。画像はありませんが、素敵な万華鏡もありました。
Photo_7
Jpg

献血中の私です。
Me

359回目の献血、完了。
Card

帰りは秋葉原駅行きのバスに乗りました。多くの方面にバスが出ていて、ちょっとした旅行気分が味わえるのは、都心ならでは。
Toakiba

献血ルームfeelへ行くにはエレベータを乗り継いでビルの10階まで昇る必要があり、「通りを歩いていたら偶然見つけた」というような手軽さはありません。しかし、隠れ家的な場所であると考えると面白い。東京スカイツリータウンを散策するついでに、新しい献血ルームに寄ってみるのはいかがでしょう。※ただし、献血者の健康を考え献血後東京スカイツリーに昇る予定のある方からの協力はご遠慮頂いているとのこと。

【参考】
献血ルーム feel
『都バス運転手、献血バスを取材する』(都政新報エッセイ)


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

都市型トロリーバスの運転士に。

Usogazo 実は、4月1日付でトロリーバスの運転士候補生になってしまった。若い人には馴染みはないだろうが、トロリーバスというのは、簡単に言えば、電車とバスの中間の乗り物。車体はバスなのに、架線の下を走るのだ。電力を使うので、当然環境に優しい。難点なのは、(当然ながら)架線の下でなければ走れないこと。国内では、黒部ダムの観光用として、唯一残っている。これを、都市交通として復活させようとする試みが、着々と進んでいるのである。一見夢物語のようであるが、なかなか面白い話ではないだろうか。 
 もともと、運転免許マニアであったので、トロリーバスを運転するための免許(動力者操縦者運転免許証 無軌条電車運転免許)は取得済みである。 この事は職場には話していなかったのだが、一体どこで漏れたのか、自分には見当がつかない。
 実際に業務を行なう場所は東京近海の某海底トンネル(開業前なので詳しい場所は言えないが、すでに架線と車両が配置済み)で、騒音や振動などのデータを約2年にわたり蓄積した後、問題がなければ実験線がそのまま営業路線になる予定になっている。週5日の勤務のうち3日はトロリーバスの実験を、残り2日は地上に出て路線バスを運転するという特異な勤務形態が、早ければ5月の連休明けから始まる。身分上は、国の設立した新組織に出向という形になる。過去のブログで「謎の組織」と書いたのは、そのような理由だったのである。

※エイプリルフールの嘘日記です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

関東バス最後の三扉車B3008号車に乗ってきた。

【注意】
記事の内容は2013年2月時点のものです。B3008号車、現在は定期運用はしていないので、ご乗車される方はご注意を。
「鷹04系統(三鷹駅~多摩六都科学館) 期間限定運行への変更について」
http://www.kanto-bus.co.jp/news/?y=2013#news398

 以前、私的にイラストを描きました関東バス最後の三扉車、武蔵野営業所のB3008号車が定期運用するようになったと同社のホームページで知りましたので、早速乗車してきました(※その後、2013年11月24日の運行をもって期間限定の運行に変更しています)。かつては同社の主流であった三扉車、今ではB3008号車しか残っていません。興味のある方は是非乗車、そして撮影しておきましょう。【注】B3008号車は2013年6月の車検(継続検査)を通過し、2013年7月現在も現役で運行している事が確認されていますが、引き続き動向に注意が必要です。
B30081_4
B3008号車が来た。鷹04(休日のみ)での運用です。
B30082_3
三鷹駅到着。大勢のバスマニアに撮られていました。
B30083_3
次の運用までしばし待機。
B30084_2
真横から。真ん中の扉は終点でのみ開きます。
B30085_2
自作のイラストと実車。ホイールの色が赤なのは、最近オリジナル塗装を復刻したためです。
B30086_2
三鷹駅から鷹10(武蔵野営業所行き)で入庫。マニアな(?)職員がお出迎え。
B30087_2
給油中。方向幕が回送に切り替わる。LED行き先表示機の普及で、方向幕自体、風前の灯。
B30088_2
給油完了。この後B3008号車は所内をUターンし、600m離れた第二車庫へ回送されて行きました。

※参考情報
 関東バス公式ホームページの告知(2月15日付)によると、B3008の定期運用の路線および時刻は次のようになっています。定期点検のため別の車両で運行したり、予告なくこの企画が終了する可能性もあるとの事です。また、私は同社とは無関係の人間ですので、急な時刻変更等への苦情には対応できません。悪しからずご了承願います。
【運行日】日曜・祭日
【運行系統】鷹04 三鷹駅-多摩六都科学館
【運行時刻】
三鷹駅発 6:53 8:25 11:22 13:01
多摩六都科学館発 7:39 9:12 12:10 13:59
(公式には掲載されていませんが、三鷹駅発14:45 鷹10 武蔵野営業所行きで入庫するようです)

関東バス公式サイトより「三扉車(B3008号車)定期運行のお知らせ」
http://www.kanto-bus.co.jp/news/?y=2013#news343

その後、情報が更新されました。B3008号車、現在は定期運用はしていないので、ご乗車される方はご注意を。
「鷹04系統(三鷹駅~多摩六都科学館) 期間限定運行への変更について」
http://www.kanto-bus.co.jp/news/?y=2013#news398

| | コメント (0) | トラックバック (0)

献血マニア

【アーカイブ】
※某団体向けに2012年に書いた文章です。

 世の中にはさまざまなマニアが存在する。私は献血マニアである。はるか昔、高校生の頃から現在に至るまで、こつこつと献血にいそしんできた。すでに生活の一部になっているため、どのようなきっかけで献血を始めたのか、実はあまり覚えてはいない。が、気がつけば350回を超えてしまった。我ながら信じがたいが、これは事実である。
 献血には大きく分けて、全血献血と成分献血がある。全血献血とは、文字通り血液そのものを抜くもので、200ミリリットルと400ミリリットルの2種類があるが、実際に行われるのはほとんどが400ミリリットルである。コップ2杯分の血液を一気に抜くことに不安を覚える方もいるかもしれないが、慣れればどうということもない。成分献血とは、一旦血液を抜いた後で専用の機械で必要な成分だけを抽出し、残りを体内に戻すという献血方法で、現在の主流である。成分献血の場合、体への負担が比較的小さいため、年間献血回数の上限が多めに設定されている。マニア的に言えば、「回数を稼げる」のである。
 400ミリリットル献血の年間上限回数は、男性の場合は3回と定められているが、成分献血は、年回24回まで可能となっている(血小板成分1回を2回分に換算し、血漿成分と合算した数字)。理論上、血小板成分だけだと年間12回、血漿成分だけだと年間24回の献血が可能なのだが、実際には血液センターの要請により依頼される献血の種類は変動するので、毎回血漿成分だけというのは難しい。年回上限回数は成分献血と全血献血とでは別枠なので、成分で上限に達したとしても、マニアなら全血をあきらめてはいけない。
 字数の関係でかけ足になったが、冬は風邪やインフルエンザの流行で献血者が減るという。新宿都庁の隣、都議会議事堂の地下には献血ルームがある。都内で最も小さい献血ルームである。都庁を訪れた折には、ぜひ一度寄ってみてほしい。手軽にできる社会貢献。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

赤い相棒

【アーカイブ】
※某団体向けに2010年に書いた文章です。なお、文中で「板金工場に入庫中」とありますが、すでに板金修理は終了しており、2012年12月現在も筆者はこの車に乗り続けています。

672861801 昭和の車に乗っている。といっても、名車といわれる車でも、スポーツカーでもない。何の変哲もない軽自動車である。昭和63年に製造された、ダイハツM―L70V、通称「ミラ」という車。色は赤。私はこれを平成5年に中古で購入し、以来、周囲の「買い換えろ」の声にも耳を貸さずに乗り続けている。当たり前の話だが、購入当初は6年落ちの中古車で、ドライブ中に同型車とすれ違うことも珍しくはなかった。しかし、長年大切に乗り続けているうちに、いつしか「ネオクラシックカー」と呼ばれるようになり、同型車を見かける機会はまずなくなってしまった。余談だが、私のミラは、当時、若い女性向けにデパートのパルコとのタイアップで企画された「ミラパルコ」という特別仕様車なので、残存率はさらに低い。そんなことはどうでもいいか……。ちなみにネオクラシックカーとは、昭和50年代から平成初期にかけて作られた車を指す言葉である。博物館に飾られるほどの骨董品的価値はないが、かといって、中古車市場で需要があるほどの新しさもない。身もふたもない表現をすれば「中途半端に古い自動車」ということになる。新車の快適さは望めないまでも、高速道路でもそこそこの速度で走行できるし、エアコンも(車種にもよるが)装備されているという点で、いわゆるクラシックカーよりは一歩現代的なという意味で「ネオ」クラシックカーと呼ばれるのである。北九州の門司港レトロ地区では毎年5月に「門司港ネオクラシックカーフェスティバル」というイベントが開催されており、全国からネオクラシックカーのオーナーが集結する。1980年代の車を取り上げる「ハチマルヒーロー」という定期刊行物もある。さらに、ネオクラシックカーに特に力を入れている中古車販売店も存在する。このように一定の愛好者に支持されているとはいえ、時代とともに修理部品の調達も難しくなり、多少大げさな表現をすれば、思い出の中にだけ存在するようになるのも時間の問題……それがネオクラシックカーの現状なのである。愚痴のようなことを言わせてもらえば、ただでさえ残存数が減っているネオクラシックカーにさらに追い討ちをかけたのが、最近何かと話題の「エコカー補助金」。登録後13年を過ぎた車を新車に買い替える場合、補助金を出してあげますよ、という制度である。すでに財源が上限に達したために申請は終了しているが、普通車の場合は25万円、軽自動車の場合は12万5千円が助成されるという制度であった。自分の車は登録後22年以上が経過しているので、当然ながらこの制度の対象となり、もしも廃車にすれば新車が12万5千円引きで購入可能であった。しかし、二度と製造されることのない車を12万5千円と引き換えに手放すという心境には、どうしてもなれなかった。確かに最新技術を導入した車の方が環境には優しいのかもしれないが、現時点で問題なく走行できる車をスクラップにすることと比較して、一体どちらがエコなのだろう。古い考えと言われればそれまでだが、「使える車を捨てるのはもったいない」と考える自分は、修理不能になるまで、今の車に乗り続けるつもりである。あくまでも個人的な感情であるが、エコカー補助金制度の影響により、一体どれほどのクラシックカー、ネオクラシックカーがこの世から葬り去られたか……それを考えると悲しくてやりきれない。
 話が暗くなってきたので、一呼吸。とにもかくにも、私はこれからも、排気量550ccの「赤い相棒」ミラに乗り続けようと思う。高速道路で80キロ以上の速度を出すと警告音が鳴り、エアバッグもついておらず、窓の開閉は手動で、タイヤは今や絶滅寸前の10インチ。年に一度はJAFの世話になり、小さな故障でも「部品がない」と言われて修理拒否されることもしばしば。しかし、さまざまな壁にぶつかりながらも、乗り続けていくために知恵をしぼり、打開策を見出していく作業が実は楽しい。もともと「古い車を運転するのが好き」という趣味があったわけではなく、気がついたら自分の車がネオクラシックカーと呼ばれるようになっていた、というだけのことなのだけれど、17年も乗っていれば、さすがに自分の手足のようになっている。今後何年維持していけるか分からないが、自分の体をいたわるように状態を気にしながら、できるだけ長く乗っていきたい。
ダイハツM―L70V、通称「ミラ」。色は赤。免許取得後に初めて購入した車である。只今、全塗装のため、板金工場に入庫中……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

魔法のメガネ

【アーカイブ】
※某団体向けに2009年に書いた文章です。電車や切符の状況、商品の価格などについては現在とは異なる場合があります。

 右目が近視と乱視で、左目が遠視である。しかし視力はさほど悪いわけではなく、仕事をする時だけメガネをかけていればよい。そんなわけで、コンタクトレンズを使用した経験も、ましてやレーシック手術もせず、メガネ一筋で通してきた。金属、プラスチック、ふちなし、有名ブランドと、これまで何度も買い換えてきたが、ある時、ふと思った。「仕事が楽しくなるようなメガネはないだろうか。」と。たとえば、かけ心地が優しく、重量が軽く、年月が経つほどに味わいが出て、かつ、出会った人に強烈な印象を与えるメガネ。実は前々から気になってはいたものの、日本では作られていないと諦めていた素材があった。それは、木でできたメガネである。「木のメガネ」「ウッドフレーム」といったキーワードで、インターネットの海をさまよった。すると、意外なことに、木のメガネを扱っている店舗はすぐに何軒か見つかった。だが、画面に映るサンプル写真を眺めても、心ひかれるデザインのものは少ない。「これは」という商品があっても、自分には到底手の出ない価格設定となっている。「やはり難しいか……。」パソコンの前でたそがれながら、さらに検索を続けたところ、一筋の光が差し込んできた。福井県鯖江市でウッドフレームの工房を開いている職人K氏のホームページにたどり着いたのだ。鯖江市といえば、メガネの一大産地。日本で作られるメガネフレームの実に96%、さらに、地球上で作られているメガネフレームの20%が、メイドイン鯖江だというのだから驚きだ。この、世界でも有数の「メガネの街」に工房を構えるだけあって、K氏のウッドフレームにかける熱い意気込みは、画面越しに十分過ぎるほど伝わってきた。しかしながら、どれほどの金額を支払えば彼の作品(商品というより、もはや作品である)を手に入れることができるのか、ホームページを見る限りでは知ることができなかった。それでも不思議なことに、「買えなくてもいい。とにかく実際の作品に触れてみたい。」という気持ちを抑えることができず、次の瞬間には「実物を拝見したいので、一度工房へお邪魔させていただけませんか。」という内容の電子メールを、K氏に送っていた。ちょうど近日中に金沢へ行く用事があり、少し足を伸ばせば鯖江にも寄ることができる、という心の動きが自分の背中を押したという部分もあるにはあるが、何にせよ、買うかどうかも分からないメガネを見に行くために新幹線と特急を乗り継いで旅をするという経験は、むろん今回が初めてであった。
 その日、朝の7時ちょうどに上越新幹線で東京駅を出発し、越後湯沢で特急はくたかに、金沢で特急しらさぎに、さらに福井から普通列車に乗り換えて、目的地である北鯖江駅に到着したのは12時57分。自宅を出てから、のべ7時間の旅であった。(余談だが、東京から北陸方面へは、このルートではなく、東海道新幹線に乗車し、名古屋回りで行く方が断然早い。今回は、「北陸フリーきっぷ」という割引きっぷを利用するために、あえてこのようなルートにしたのだ。)話を戻す。ウッドフレーム職人K氏は、北鯖江駅まで車で迎えに来てくださった。工房までの車中、ウッドフレームの無限の可能性について熱く語るその人の目は、まるで少年のように輝いていた。そして、「見学だけでも大歓迎です。ウッドフレームの素晴らしさを感じていただれば、十分です。」と言っていただけたので、気持ちが軽くなった。なぜなら、今回の旅の目的は工房の見学と作品の試着であるということはあらかじめお伝えしてはいたものの、やはり「メガネを実際に注文するか決めていない」ということには多少の負い目を感じていたからである。ほどなく工房に到着。建物に一歩足を踏み入れると、懐かしいような、心地よい香りがした。「これがスネークウッド。蛇みたいな柄でしょう?」「古い家を建て替える時、いい大黒柱が手に入ることがあって、それでフレームを作ることもあるんです。」職人というイメージからはほど遠い気さくな彼の話は楽しく、かつ自らの仕事の質を高めようと常に創意工夫を重ねている姿勢に感動を覚えた。気になる「お金」の話になり、アパートの家賃1ヶ月分+αで注文できることが分かった。見学だけのつもりだったが、その場で即決。「一生モノ」の作品としては、むしろ安すぎるくらいだと思った。注文したフレームは、南米ウルグアイ産の「パープルハート」という木を使用したもの。紫色をしているが、天然の色である。注文してから約2週間後、作品が到着。以来、毎日着用しているが、ほんのりと木の香りが漂うことで気分が落ち着くのか、このメガネをかけてからというもの、仕事中にイライラすることがほとんどない。不思議なことに、お客様から不条理な苦情を言われることもなくなった。職人が真剣に作った作品であるから、魂が宿っているのかもしれない。まさに「魔法のメガネ」である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「まとめられた日」をまとめてみた。

 目立つのが好きな少年だった。大人になり、アルバイトを含めてさまざまな仕事を経験するうち、ただ自分だけが目立つのではなく、他人(お客様)をも喜ばせるにはどのような方法をとれば良いのかに興味が移って行った。
 ある百貨店の駐車場警備の仕事をしていた頃、絶叫に近い大声とダンサーばりのオーバーアクションで、毎日1000台以上の車を誘導した。真冬だというのに滝のような汗が流れ、まるで自分自身がアイロンにでもなったかのように全身から蒸気が発生した。私の仕事の進め方に眉をひそめる向きもあったかもしれないが、明快なアクションの効果もあってか、駐車場内での大きな事故やトラブルはなく、さらに、駐車場で誘導棒を振る自分の姿を見るために百貨店に何度も足を運ぶファン(?)さえ現れた。現場の安全が保たれ、お客様には喜んでもらえ、さらに百貨店はリピーターでにぎわう。一石三鳥。今思えば、この仕事が「自分の個性を発揮しながら他人を喜ばせる喜び」の原点だったように思う。警備員の制服を着ていた頃から10年以上が経過した現在、縁あって私は路線バスのハンドルを握っている。
 8月某日。その日私は東京駅と某展示場とを結ぶ臨時路線に乗務した。年2回、夏と冬に開催される世界最大級の同人誌即売会のシャトルバスである。3日間でのべ60万人近くもの人々を惹(ひ)きつける驚異的なイベント。往路では夢(=同人誌など)を「狩り」に行く高揚感、復路では夢を手に入れた感激……を背中にひしひしと感じつつ、早朝から夕方まで、私は大勢のお客様を乗せたバスを黙々と動かし続けた。いや、黙々と、というのは大きな誤りである。私はそのバスに乗務している間、自分で言うのも何だが「うるさいほど」しゃべり続けていたのである。しゃべるとは、饒舌な車内アナウンスのこと。
 なぜそのような行為に及んだのか。理由はいくつかある。まず、その路線はいわゆる生活路線ではなく、すべての乗客のベクトルがイベントに向かっているということ。つまりイベントに興味のない層があらかじめ排除されているという閉鎖的な空間の中では、比較的自由なアナウンスが許容されるはず、という確信があった。
 そして何よりも、「自分の個性を発揮しながら他人を喜ばせる」絶好の機会だと思ったからである。そのイベントはよく「戦い」とも譬(たと)えられる。数量限定の同人誌等を入手するため、日本全国から、果ては海外から大勢の人々が「聖地」に集結し、会場付近には早朝から長蛇の列が形成されるのだ。年2回の大いなる「戦い」というハレの場に人員輸送の側面から関わりを持つことになった目立ちたがり屋の(?)バス運転手……全力で場を盛り上げて行きたいと決意するのは当然の流れであった。
 乗客(=イベントに参加されるお客様)がどのような言葉を好むのか、どのようなリズムとタイミングでアナウンスをすれば、いわゆるテンションが上がるのか、そして車内に笑いが生まれ、和んだ雰囲気を作り出すためにはどのような工夫が必要であるか……詳細は省くが、この日のために私は事前に研究をし、ひそかに練習を重ねていた。3日間のイベントのうちわずか一日ではあったものの、実際の乗務の中で研究の成果を披露したのである。所詮プロのエンターティナーではないので自己満足かも知れないとは思いつつ、お客様には満足してもらえたという感触はあった。
 帰宅後、パソコンを開いてみた。驚いたことに、私の当日の仕事に関する「まとめ」が見ず知らずの方の手により作成され、すでに大勢の人々に閲覧されていた。お客様に好意的に受け入れてもらえたのだ。素直に嬉しかった。多少の反響は見込んでいたものの、ネット上での広がりの大きさは、私の予想をはるかに超えるものだった。
 とはいえ今回の現象に関しては、冷静に分析する必要がある。「公共交通機関の乗務員が通常とは著しく異なる車内放送をした」という事件性、また、多くの乗客が興奮状態にある「イベントに向かうバスの車中」という特殊性の中で、私は下駄を履かせてもらっていたのだ、と考えることにする。ネットでの反応の中で、「次はハードルが上がりますよ」というものがあった。まさにその通り。次回のイベントの際にもこのシャトルバスを担当することができるのか、現時点では未定ではあるけれど、もしも縁があるならば、その時にはお客様を失望させないよう、そして、今回以上に楽しんでもらえるよう、毎日の仕事の中で研鑽を積んでいく。それがお客様に対する私なりの誠意の示し方である。
 
追伸 皆様のおかげで、楽しく仕事をすることができました。心から感謝いたします。本当にありがとうございました。 

【参照】※リンク先には私以外の運転手の発言も含まれています。
まとめられた私の仕事(2012年夏 C82)
http://togetter.com/li/354466

さらに年末の仕事もまとめられていた(2012年冬 C83)
http://togetter.com/li/433020

名言集(2013年夏その1 C84)
http://togetter.com/li/547709

DJ的な何か(2013年夏その2 C84)
http://matome.naver.jp/odai/2137630087702988601

名言集(2013年冬 C85)
http://togetter.com/li/610000

名言集(2014年夏 C86)
http://togetter.com/li/707692

名言集(2014年冬 C87)
http://togetter.com/li/763868

名言集(2015年夏 C88)
http://togetter.com/li/861447

某イベント輸送臨時バスについて以前私が書いたエッセイ
都バスで故郷を懐かしむ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

関東バス最後の三扉車 B3008

Kantobusb3008
日産ディーゼル+富士重工(U-UA440HSN)

 関東バス武蔵野営業所に残る最後の三扉車。関東バスと言えば少し前までは三扉車が主流であったが、2000年の交通バリアフリー法施行(その後2006年にバリアフリー新法に統合)にともないノンステップバス以外の車両の新規導入が困難となり、三扉車を含む非ノンステップバスは年々減少していった。
 あえて社名は書かないが、筆者は2000年代初期に某バス会社で路線バスの運転手をしていた。車庫内には三扉車が多数停まっていて、週5日の勤務日のうち3日は三扉車のハンドルを握っていた。普段乗客として路線バスを利用する機会のほとんどない生活を送っていたため車両の仕様には特に関心がなく、路線バスというものは扉が三つあるのが標準であるという偏った認識を持っていた。某社を退職したのち、その会社が三扉車が多いことで有名なバス会社であることを知ったのだった。自分の生きていた世界はあまりにも狭すぎた。三扉車は標準ではなく、ごく少数派であったのだ。そういえば、バスファンと呼ばれるような人々が自分の運転するバスに向けてよくシャッターを切っていた。もしかすると遠方から新幹線や飛行機に乗って「三扉車の聖地」を訪ねに来たファンもいたのかもしれない。退職して10年以上経過した今頃になってこのようなことを書いても仕方がないのだけれど、当時少しだけでも彼らに優しく接することができれば良かったと思う。「オレは見世物じゃない、オレを撮るな!」という意識が心のどこかにあり、彼らの趣味に対してはあまり協力的ではなかった。彼らは運転手である自分の姿に興味があるわけではもちろんなく、純粋にバスという乗り物が好きで、バスの写真を撮りに来ただけだというのに。私自身、当時よりバスを好きになった今ならば彼らの気持ちもよく分かる。(2012年)

※関連記事 3ドアの都営バス
※関連画像 都市型超低床バス 日野 HU2ML改(3ドアの都営バス)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧